七年に一度、寅(とら)と申(さる)の年に行われる大宮諏訪神社の式年祭礼に合わせて飯田市の中心街にて開催される大祭「お練りまつリ」。大勢の人が街にでて練り歩く…ということからこの名前がついたとの伝えもあります。多くの獅子舞や行列などの地域や団体ごとの出し物が、碁盤の目状に整備された美しい街中を練り歩きます。数ある出し物の中でも目玉は、日本一と名高い「東野の大獅子」と、明治五年申年から続く「大名行列」と言われています。
「大名行列」は飯田市本町三丁目の出し物として受け継がれてきました。「役者」と呼ばれる出演者が持つ小道具は 若州小浜城主、播州姫路城主、奥州仙台城主などの由緒ある持ち物を入手したもので「百万石の格式」に相当します。特に男持薙刀、白車熊槍、富士形槍などは国宝級の逸品。行列の仕方、所作、芸は当時の所作を継承しており、絢爛豪華でおごそかな行列は江戸時代の風情をそのままに感じる事ができます。
文榮堂は「大名行列」を継承し続けている本町三丁目に代々店を構えており、初代 宮下藤次郎と2代目藤一郎は、大正8年の東京奠都50周年記念の東京遠征に参加し、大正天皇の天覧を賜りました。東京奠都50年記念記念祭開催にあたり、このイベントの実行機関の東京電機局の楠木電気局長さんが、数年掛けて全国津々浦々の大名行列の視察を行いました。その中で本町3丁目大名行列が記念すべき式典に相応しいということになりました。そして局長が本町3丁目にお越しになり是非ともご承諾願いたいとお願いされました。勿論快諾しました。当局より支度金を相当額支給され、奴の衣装を新調しました。そして式典が迫った日、飯田から高遠原まで歩いて移動し、そこから電車にて東京へいきました。殆どの人が生れて初めて電車に乗ったので大興奮だったそうです。大正時代と言えば、江戸時代生まれの方がまだまだ存命の時代です。そんな時代に本町3丁目大名行列が選ばれたんですから、こんなに素晴らしいことはありません。藤一郎は役者を引退後は長年に渡り演技指導の総師範として行進の指導にあたりました。3代目芳治も役者として活躍した後、総師範を長年務めました。
当代の宮下勝吉もこの大切な飯田の文化である「大名行列」の保存に力を入れております。
もの心ついた頃より子役として大名行列に出場。役者としては30歳のとき(平成4年)がデビューでした。昭和55年・昭和62年のお練りまつりは京都での修業中のため出場出来ませんでした。然し昭和62年のお練りまつりは3日間休暇を頂戴して、現場スタッフとして裏方の仕事を手伝わさせて頂きました。そして平成4年に役者デビューを果たし、「草履取り」を担当いたしました。平成10年には重厚な「富士型」を担当させて頂きました。この時「化粧傘」を演じておられた先輩が1時間だけ抜けるから、その間先頭をやってくれと事前に頼まれていましたので運よく演じさせて頂きました。平成16年からは正式に先頭である化粧傘を演じ、平成22年も演じ、次回平成28年が化粧傘としては最後のお練りになります。集大成でもありますので悔いの無いよう演じたいと思います。